しずおか文化のページ伊豆文学フェスティバル入賞作品のあらすじ

令和2年1月14日更新

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第23回伊豆文学賞 入賞作品あらすじ(作者自身による作品紹介)


◆小説・随筆・紀行文部門

  最優秀賞  「ナナカマドの庭」
 サッカーのスポーツ推薦枠で、地元の県立高校に入学した主人公、杉沢耕介。一年次から部活のレギュラーとして活躍するも、勉強には身が入らない。どうにか二年次に進級できた矢先、試合中に負ったケガへの対応をめぐり、部の監督とぶつかってしまう。
 レギュラーを外され自暴自棄になった耕介は体調もすぐれず学校も休みがちのまま、夏休みを迎える。そんな折、両親が切り盛りする弁当屋の店先で、花市場のアルバイト広告を見つける。
 夏休み中のわずか二週間という短い期間だったが、初めて経験するアルバイトの中で、あんちゃんをはじめ、花市場の競りを取り巻く、個性あふれる人々との出会いを果たす。
 時は昭和から平成に遷り変わる時代。富士山を仰ぎ見る駿河湾の最奥の地を舞台に、今はない古き花市場の空気を胸いっぱいに吸い込んだ耕介が、自らの一歩を踏み出そうとする物語。
 
優秀賞
「ボンネットバスと走った天城峠(乗り合いバスの変遷)」
 かつて日本の津々浦々でみられた「乗り合いバスの車掌」。敗戦の後遺症を引き摺る時代に、その職に就いたのは中学卒の娘たちであった。バスガールとも呼ばれ世間からは親しまれていたが、厳しい労働の実態を知る人は少ない。天城峠を越える旧型のボンネットバスはパンクや故障との闘いの日々でもあった。私が入社をする数年前まではガソリン不足から燃料は木炭が主流で、草炭という海藻を干して炭の粉に混ぜ、団子状にした物も使用していたという。運転手との上下関係は実に厳しく涙する日も多いなかで、当時のバスは郵便物や新聞など時間の制約を受ける物も運んでいたが、それらの業務は車掌に任されていた。天城七里と呼ばれる曲がりくねった峠道を、喘ぐように往復をしていたボンネットバスは、時代と共に大型化してゆくなかで、道路の方は改良されないままで、運転手と車掌たちの苦労は続いたのである。
 
佳 作
「坦庵先生とパン」
 韮山代官江川太郎左衛門は諸藩から弟子たちを預かる砲術家でもあり、坦庵先生と呼ばれ洋学の一環としてパンを作らせることもあった。坦庵の才覚を幕府筆頭家老の阿部正弘はよく認め、海防掛勘定吟味役を命じ、江戸と韮山を行き来することが増えた。東海地震の際、坦庵は阿部の命を受けて下田を見に行き、ロシアの使節プチャーチンが村民救済の申し出をしたという話を川路聖謨から聞いて感銘を受けたが、申し出を国禁に触れるという理由で断ったと聞いて腹を立てる。だがロシア人がパンを食べたがっていると聞いて坦庵はパンを差し入れ、彼らとの友交的な関係がはじまる。ディアナ号の修理をするため下田を出て遭難、座礁してしまった時も、坦庵はただちに駆け付け救助に奔走する。ロシア人は西伊豆の戸田港で新しい洋船を作ることになり、ロシア人の設計だが日本の船大工・技師の手によって、日本で初めての本格的な洋船建造が現実のものとなった。
 
佳 作
「はぐれ雁」
 建久四年、父を殺した工藤祐経への仇討ちを目論む曽我十郎・五郎兄弟は、源頼朝が富士野で行う狩りに乗じ、仇討ちを計画する。
 そこで五郎は愛妾の亀鶴に今生の別れを告げるも、亀鶴は五郎を追って富士野に来てしまう。五郎は亀鶴を拒絶するが、亀鶴の「自らの自由な意思でここにいる」という言葉に胸を打たれ、亀鶴の富士野逗留を了承する。
 そして決行の日、祐経の宿舎を襲撃した五郎と十郎は、亀鶴の機転もあり、祐経を討ち取るも、十郎は警護の武士に斬られ、五郎も捕らえられてしまう。翌朝、罪人として頼朝と対面した五郎は、今般の仇討ちが全て頼朝によって仕組まれていたことを知らされ、驚愕。さらに頼朝は、五郎の武勇を認めて家人に取り立てようとするが、「自らの自由な意思」を最後まで貫くと決めた五郎はそれを拒み、斬刑に処されることを選ぶ。そして残された亀鶴も同意思に基づいて兄弟の仇討ちを決意し、華々しく命を散らすのであった。

◆メッセージ部門

  最優秀賞  「繋がらない記憶」
 毎年の夏は伊豆と決まっていた。いつ、どこでが全くわからず再び訪れることもできないであろう場所ばかりだが、私たち家族の嬉しい思い出。海に近い水田、そそり立つ崖、四角い空。全てが伊豆の美しい風景。
 
優秀賞
「金木犀」
 進行性の小細胞肺癌と診断された祖母。抗がん剤治療を施すも癌の進行を抑えることができず、緩和ケア病棟での終末医療へ。自宅で最期を看取りたい娘と、病院でのケアを望む父。両者一歩も譲らず親子でぶつかり合う日々。様々な葛藤の末、自宅へ戻ることができた祖母は最後に庭に金木犀の苗木を植えた。その苗は残念ながら枯れてしまったが、祖母の意思を受け継ぐように台風で倒された挿し木が開花を迎えた。
 
優秀賞
「二俣線・天浜線を乗り継いで」
 ローカル線の二俣線は天竜川や浜名湖の美しい自然の中を走っていた。昭和六十一年、第三セクターによって名称が天浜線に変更される。ハイキングで乗った車窓から眺めた景色が遠い昔を甦らせてくれた。田んぼの中の一本道を歩き、辛かったことや父の戦友の家に泊まったことなどの思い出を書きました。
 
優秀賞
「無形の宝物」
 数年前から毎年、松崎町の岩科学校を訪れるようになりました。
 最初は、今は亡き祖父との思い出の場所である事と、自らの好古趣味で写真撮影が目的でしたが、わたしは訪れる度にまず、堂ヶ島の幻想的な風景に魅了され、岩科川の懐かしく優しい雰囲気に心癒されます。
 そして、明治時代から長い年月を越えてきた岩科学校が静かに佇んでいて、訪れる人を温かく迎えてくれます。
 明治の息吹が漂う岩科学校は、いつもわたしにたくさんの無形の宝物を与えてくれます。
 
優秀賞
「鹿島の夏」
 静岡県浜松市天竜区に鹿島という地域があります。そこでは毎年夏になると140 年余の歴史ある伝統的な「鹿島の花火」が行われてます。山々に囲まれた天竜川河畔で打ち上がる花火は他のどの地域の花火大会よりも音の反響が印象的でした。はじめてこの花火に出会ったときの感動を伝えたく書いてみました。
 
優秀賞
「北遠州天空の里」
 北遠州の龍山村(現浜松市)は、私の長い教員生活の原点となった場所だ。山村の小さな小学校で暮らした4年間は、ここで教員として育っただけでなく、子供たちや地域の人と結び合った充実した日々だった。鉱山の終焉と共に学校もなくなった。美しい風土と幼い子供たちの笑顔が重なった光景は、半世紀以上を経ても脳裏にしっかりと残っている。
 当時の教え子たちとの交流は今も変わらず続いている。
 
特別奨励賞
「知る一歩」
 「浜松の良い所はどこですか。」と聞かれた時あなたなら何と答えるだろうか。私たちは浜松に暮らしながら、浜松のことを良く知らない。日々のあたりまえにより盲目になってしまっているのだ。浜松をより良い街にするためには住んでいる私たちが浜松について知り浜松を愛することが必須であると思う。小説でも歌でもドラマでも、浜松の魅力を再発見することができる。今私たちの住む、浜松という地が素敵な所なのだと、頭において生活できれば良いと思う。そして私たちが浜松をより素敵な街にしていくのだ。


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